長井さんは犬死になのか?
「お亡くなりになってかわいそうなことをした。(ミャンマー)政府に真相究明を求め、善後処置をしてもらう。(追加制裁を行うかと聞かれて、)今、制裁が一番いいというふうにはなかなかならない。」
ミャンマーでフリージャーナリスト長井健司さんが殺されたという知らせを聞いての福田首相の反応である。この、「なかなかならない」という言葉にはいろいろな意味が含まれているようだ。
この福田氏の反応を見て、まず思い出したのが、先日のベトナムの橋の落下事故。日本のODA支援により、ベトナム南部の都市カントーで建設していた橋が9月26日に落下した事故のことである。総工費400億円のうち約250億円が日本政府開発援助(ODA)だという。作っていた共同事業体(ゼネコンですな)参加企業は大成建設、鹿島、新日鉄、日本工営などだそうである。ODAってのはこんな仕組みになってるんですなあ。
税金(われわれの)→ODA→日本企業による現地土木事業
これは土木事業という非常にわかりやすい構造だっただけのことで、何らかの、たとえば医療機器とかをODAでまかなうとなれば、当然日本の商社が一枚噛むのだろう。つまり、この構造は実は、
税金(われわれの)→ODA→日本企業による現地土木事業や、その他いろいろ→関連した日本企業から政治家や官僚へのキックバック
という構造なのだろう。そりゃ、「なかなかならない」わなあ。
毎日新聞に連載中の西原理恵子氏の「毎日母さん」は、本日(もう昨日ですが)は番外編とでも言うべきミャンマー編だった。
「アジア中を旅した内ミャンマー人が一番信心深かった」そうだ。貧しい人たちが、一番いい食べ物(魚や野菜)を、まず寺に寄進し、お坊さんにはすぐ道をゆずり、道ばたの民家の前には、通る人がのどが渇かないようにと、必ず飲み水が置かれてあるのだという。鴨ちゃんはここの寺で「ピーニャソーダ(賢い人)」という名をもらったという。鴨ちゃんの位牌に戒名がないのは、もう一度あの寺に行ってパーリ語で「ピーニャソーダという戒名を入れてもらうためなのだそうだ。そして、西原氏は、最後のコマをこういう言葉でしめくくっている。
「寺から出た高僧が力車を引きながら『この世はわからない事だらけです。』と言っていた。」
西原氏は今回の事件にはひと言も触れていないが、彼女の出会ったやさしい人たちがあそこまで激しい行動を取らざるを得なかった事情が背景にあることを、余すことなく伝えてくれている。
長井さんが伝えたかったこともそうしたことだったのだろう。彼が伝えようとしたことを知るためにも、カメラだけは取り返してほしい。
サライエボにしろとは言わないが、へらへら笑っている場合ではなかろう、福田さんよ!
畑、継続決定!
世の中三連休だそうだが、当方今日は仕事。
で、貴重な休みの今日、協同菜園の会合があり、私の借りている畑は市の進めている病院建設の計画地内にないため、続けられることになった。
畑は、続けられなくなると思って、秋物を何も植えてなかったので、今から植えられるものをさがさなきゃならない。
十日ぶりに畑に行ってみたら、ほったらかしていた割には、(小さくなってきてはいるが、)まだニガウリも収穫できた。茄子も、短く丸くなりつつも、実り続けている。トマトはレモンほどのを一個収穫。今年のトマトはこれで終わり。それから、この間降った雨のせいか、枯れかかっていたピーマンがまた実をつけていた。
でも、なんといっても楽しみは「金時芋」。苗を二十本植えたが、小さかったのが一本刈れただけで残りはすくすくと育ち、地中の芋も大きくなっているはずだ。
思えば、鹿児島の山村の農家に育った私は、秋になるといつも蒸かした芋をおやつに出されたため、食わず嫌いならぬ「喰わされすぎ嫌い」になり、以来四十数年、進んで芋を食いたいと思ったことがなかった。
ところが、去年の冬、自宅のすぐ近くにある99ショップで何気なく買った税込み一本百四円の焼き芋の旨さに驚き、四十数年来のトラウマはどこかにすっ飛んでしまった。
考えてみれば、子どものころは、食品工業用澱粉糖の生産目的で作付けしていた芋の中で、出荷できない傷物や大きさの足りないものばかり喰わされてたんだから、まあ、旨いはずもなかったわけだが、それにしても、品種改良のせいか、芋は昔とは比べものにならないくらい旨くなっていた。
しかし、私が仕事帰りに寄る深夜の99ショップでは、その旨い焼き芋は売り切れていることが多かったので、この春畑を再開してすぐ芋を植えることを思い立ち、一番甘そうな「金時芋」の苗を買って植えたのが五月……って、それほどおおげさな話でもないのですけどね。まだ「つる」が元気なので、もうしばらく待って収穫である。
で、私の田舎のサツマイモ生産は、高度経済成長と期を同じくして生産を伸ばしてきた北海道の甜菜(てんさい)にその地位を奪われ、澱粉糖の原料としてのサツマイモの価格は急落。あげくにだれも生産しなくなった。こうして、南九州の農家の大きな収入源の一つがなくなり、そのことが、多くの農民が出稼ぎに行く原因の一つになったのだった。
あのころ、南九州のどこの町にもあった、異臭のする澱粉工場(芋から澱粉糖を生産する工場。ちなみに「でんぷんこうば」と呼んでいた。)は、いつのまにかなくなり、工場から流れ出る排水で白濁していた小川は、見た目綺麗にはなったが、その後は田に散布される農薬に汚染されていく。
以上は、私が見た、映画「三丁目の夕日」のころの山村の風景である。ものには何でも裏側があるわけで、一概に「あのころはエネルギッシュで世の中に希望があった」などとは言えないわけだ。
菜園の芋の話がとんだところへいってしまった。
take-bowさん、芋掘りに来る?
しんちゃん以上? 以下?
8月15日に書こうとしたら、ブログの調子が悪くて入力できず、3日遅れになってしまった。
以下の文を、読んでみてほしい。
○(治療の間付き添ってくれた)アメリカのMPは立派だった。社会の動きにもそれなりの見識を持っていた。教育程度も高いだろうが、国民に知らせ、自覚を持たせ、これを掌握すれば力となる。アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ。
○(反省の意を込めて)統帥権独立が軍内の下克上の思想をもたらした。
○ 日米両国は虚心坦懐に……直接交渉して、和平の途を勇敢に講じてみるべきではなかったか。
これ、いったい誰の言葉かというと、あの東条英機が自殺未遂(狂言の説あり)のあと、大森の収容所で元陸軍参謀本部大佐に語った話だそうだ。(毎日新聞8月15日余録)以下、余録子によると、
「これら指導者としてあまりに素朴な後知恵による自省は、一般の怒りをかうことを関係者がおそれ、長く公表されなかった(「保阪正康著東条英機と天皇の時代」)」
のだそうだ。
はい、あまりにお粗末な戦争でした。そして、こんな認識の人間に政権を与えたのは、日本に今も巣喰っている「事大主義(力を持った者のふんどしをかつごうとする生き方)」だ。挙げ句に数百万人が死んでしまった。死者の中には次の時代を担ったであろう優秀な頭脳も数多く含まれていたはずだ。で、生き残った遺伝子がひりだした劣悪な個体が、今、おそらくは、東条以下の認識で首相をやっているわけです。
劣悪な個体の認識不足は、以下の結果でも明らかです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/shirokuro/news/20070817ddm013070056000c.html
「サンシナメ」って……新手の妖怪?
言葉についての文句は数々ある、というよりも日々耳を疑うような言葉が公共のメディアから流れてくるので、驚くばかりで、怒っている暇もないありさまである。
よくリビングでテレビを付けっぱなしにして、本を読んだり新聞を読んだりする。だらしないと言えば、まあ、だらしない。先日もテレビを付けながら本を読んでいると、不思議な言葉が聞こえてきた。番組は近頃はやりの料理ショーの類である。
「サンシナメはシェフご自慢のなんたらかんたら…」
「サンシナメ」ってなんだ? 最初に音が飛び込んできて、「サンシ」「ナメ」と三音節目で切ってとらえたため、妖怪の名前のように聞こえてならなかったが、どうも「三品目」と言っているつもりらしい。
それを言うなら「みしなめ」でしょう。
この人達は一品目と二品目は「イチシナメ」「ニシナメ」と言ってるのだろうか。
そして四品目は「シシナメ」なのだろうか? ますます妖怪じみてきたなあ。
そこでよく聞いてみたら、
「ヒトシナメ」「フタシナメ」「サンシナメ」
と言っている。
「四品目」は出てこなかったので残念ながら聞けなかったが、おそらく「ヨシナメ」ではなくて、「ヨンシナメ」と言うんだろうなあ。
和語では「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……」と数える。外来の漢語で数えれば「いち、に、さん、し、ご……」となる。これは混ぜてはいけない。
慣用で混ぜているのは「七」の場合だけで、これは、「しち」の音が言いにくいのと、「四」との聞き間違いを避けるために、声に出す場合「…ろく、なな、はち…」と言ったりする。これは例外。
「ひとしな、ふたしな、さんしな」と数えるのは、「ひとしな、ふたしな、すりーしな」と数えるのと一緒でっせ。
だいたい、言葉のプロが「さんしな」という響きの汚さに気づかない、そのセンスの悪さに驚くなあ。
言葉についての「小言」はしばらく続きます。(しばらく、まじめにブログを更改し続けるつもりです。)
お客さまには、乗車中は大変な我慢をしていただくことになりますが
JRに言いたいことは山ほどあるが、それにしても、この広告には驚いた。
車内中央に吊ってあったこの広告の全文を読んでびっくり。
あらかじめことわっておくが、これはJRの長距離列車や、駅のホームで、
喫煙者のために苦しい思いや、辛い思いをしている人へ
の謝罪文ではない!
全く、その逆!
http://www.jreast.co.jp/nosmoking/index.html
JR東日本全線、全ホームが禁煙になったとしても、首をひねりたくなる内容だが、禁煙にしたのは新幹線と特急だけでっせ。
まず、これ。
2003年に健康増進法が施行され、公共施設における
受動喫煙を防止するための努力義務が課せられるように
なりましたが
「法律で圧力がかかったので、意に反してやむなく」としか読めないのだが……。
そして、極めつけはこれ!
長時間列車を利用されるお客さまのために、ホームの喫
煙所に加え、新幹線などの主な駅ホームに排煙設備のあ
る喫煙ルームを増設し、お客さまが、乗車前後にたばこ
を吸われる環境を整備いたします。お客さまには、
乗車中は大変な我慢をしていただくことになりますが、
何卒ご理解とご協力をお願いいたします。
私も数年前まではたばこを吸ってたので、偉そうなことは言えないが、さすがにやめるその数年前からはホームで吸うのは我慢していた。
これ、たばこを吸ってる人間への嫌みだというのならわかるが、おおまじめでこんなことを言ってるのだとしたら、
JR←→?←→JT
としか考えられない。
「?」は族議員だったり、何かのブローカーだったり何でも好きなものをあてはめてかまわないが、その誰かへの弁明を公共の場所でやってるんだろうなあ。